12月27日、12月28日

過去のブログがあまりに能天気で、なんとなく下書きに移した。


クリスマス、お買い物が大好きだった彼女はきっと、自分のために何かステキなものを買っただろう。会うとこんなものを買ったと嬉しそうに見せてくれて、私もわぁいいねぇ!って言うのが恒例だった。服やバッグに躊躇いなくお金を遣う彼女の買い物は見ていて気持ち良かった。今年のクリスマスに買った何かを彼女はほくほく顔で使う時間はあったのだろうか。常に音楽を聴いていた彼女はきっと直前まで好きな音楽を聴いていただろう。


事故で友達が死んだ


1年前の12月28日、私が東京からTHE YELLOW MONKEYナゴヤドームライブに行くため泊りがけで行くと夫(友人と夫は同僚)から聞いた友達が、私の出産後全く機会を失っていた「時間を気にせず飲める」絶好のチャンスと名古屋まで一緒に来てくれることになり、更にはついでに、と自らチケットを取ってくれ席は違うけれど同じライブを見、その後味仙で辛い辛いとラーメンや鶏肉を食べ、ホテルに泊まってペチャクチャ喋り、翌日名古屋観光もして、こういうのまたやりたいねと話して別れた友達が、1年後の12月27日にいなくなった。

彼女はとてもお洒落で、目が大きくて指が長くキレイで、自分に自信もプライドもあるけど人と比較してどうこう、という感情はどこかに置いてきた凛とした人だった。

そんな彼女が3つ年上で少しだけ早く同じ会社に転職していた私をなぜ慕ってくれたのかはよく分からない。

おすまし顔で仕事をこなし、誘われれば飲み会ではなくサシでの飲みなら応じ、女の私から見て少し近寄り難い、しかし分かってない男は背が低めというだけで可愛らしいものと決めつけて無遠慮に声を掛ける、そんな会社での様子は仕事で同じチームということもあって近くでうっすらと目にしていた。

誘われれば、というスタンスで会社での人付き合いをこなすのは私も同様だったために「誘わないモノ同士」、彼女と親しくなるのには時間がかかったし、親しくなるとは思っていなかった。

きっかけは社員旅行。社内で3期位に分けての海外旅行に行くことになり、よく飲む同僚(男)が一緒に観光とかしましょうと声をかけてくれた。海外で1人楽しく動けるか自信のなかった私は助かったとばかりに同意したところ、もう1人、あの人とも約束したから3人でどこに行こうか考えましょうと言われて「あ〜〜そうなんだ〜〜ありゃ…ちょっとうまくデキルカナ」と不安になる程度には、それまで没交渉で6年位一緒に働いていたわけである。

ホテルの部屋割は会社が勝手に決めていたのだが、先輩社員が一緒に観光する人と同室がいいでしょうと気を回してくれ、それに対してすらちょっと憂鬱になるくらいに親しくなかった。

彼女のことは嫌いでは全くなかったけれど、変に下手に出たりしないしおどけたりバカな事も言わないし、どこのパン屋さんがおいしいとかの世間話になるとスラスラと話す社交上手、そしてあまり自分の話はしない。社内に一対一で飲む人はいるようなのに誰とも群れない、掴みどころがなくて私にとって高嶺の花だったのだ。ちなみに、私は下手にも出ないしおどけもしないが世間話もまともにできない社会人失格人間である。

きっかけは覚えているのに細かいタイミングは忘れてしまった。とにかく、社員旅行中、夜は部屋で3人で飲むことは決まっていて、彼女と2人きりの時間が憂鬱だった私は同僚(男)が夜になって他の友達と外に遊びに出かけないだろうなと気を張っていたはずが、気づいたら「もう女同士で話してるんだから早く部屋からでていかないかな」と薄情にも思うほど彼女と話すのが楽しくなっていた。会社で1番親しい(友達として)男性だったにもかかわらず。

仕事は淡々と、でも責任を持ってこなしていた。お互い一輪車乗りながらジャグリングさせられてるような仕事量で、でも淡々と時に荒ぶりつつも、仲良くなってからはより、無言のフォローをし合って助け合って仕事の波を乗り越えてきた。仕事中に滅多に感情を見せない彼女がぷりっとしてると珍しいなぁと近寄って話を聞き、意外と「そこ?」みたいなことに怒ってるのを知って独特でいいね!って思ったりした。


彼女とは仕事も忙しかったしそこまで頻繁ではなかったけれど、飲みによく行った。お店の大将に顔を覚えられるくらい桃太郎というお鍋のお店に仕事終わりに電車を乗り継いで食べに行ったりもした。親しくなってみると「ちょっと!しっかりして!」みたいなところも多い、そういう意味で可愛らしい人だということも分かったし、病気を抱えて生きてきて人と自分を比較しないことを選んだ人なんだと思った。私はズルい、羨ましい、運がない、そういう言葉が苦手でこの3つを言う人とはどうしても楽しく話せない。彼女にはそれが全くなかった。

そして、家族やごく親しい人には口が悪く時には非情なまでに冷たく、その他一般には非常に人当たりよくしかしその場限りで決して自ら近寄らない、要はドライな人なんだなということも分かった。でもそのドライさは幼い頃から病と付き合ってきたからこそなのかもしれないとも思っていた。

あまり人に興味がないけど、テリトリーに入れてしまうと家族みたいに大事に思ってしまうと言っていた。私がどこにカテゴライズされていたのかは分からない。でもいつも彼女から親しみと愛情を渡されていたように思う。


彼女は私を旧姓にさん付けで呼び続けた。結婚した時、私が退職した時に下の名前で呼ぼうかなとちょっと恥ずかしそうにトライしてみたこともあったけど、結局最後まで旧姓だった。私は自分の旧姓も、その苗字でがむしゃらに働いていた時期のことも大切だったから嬉しかった。


彼女はどこかへ遊びに行くとお土産を同じ会社で働く私の夫経由でくれた。どれも可愛くてセンスのある、貰って嬉しくなるようなものばかりだった。私は変なもの渡して嫌がられるの怖かったから、旅行に行ったらたいてい彼女が愛してやまないウイスキーがないか探してまわった。何か言われたことがあるわけじゃないけど彼女の好きなモノとそうでないモノへの態度の差は明らかで、関係無い時は見てて面白いけど自分が選ぶとなるととんでもない緊張感だった。

そう、彼女はお酒が好きだった。飲む前に使う薬は、2人だけの時はトイレに行かずに目の前で使うようになっていた。ビールは最初の一杯だけ、あとはハイボールだったけどたまにビールばかり飲む私につられてしまってもう一杯飲んじゃおと言う彼女は可愛かったけど少し心配でもあった。卵が嫌いな私と卵が大好きな彼女、突出しがいつも温泉卵のお店ではお互い無言でお皿を受け渡しした。


私の退職後は出産もあって飲む時はいつも久しぶり、いつもドキドキしながらお店に向かった。私は退職、出産後に彼女と盛り上がれるような話題を提供できるのだろうか?そんな不安が毎回あった。そして毎回100%楽しいで電車の時間になった。共通の話題は仕事と会社から好きなバンドの話に変わっていた。彼女が好きなのはワンオクやマイファス。お互いの好きは被らないけど平和にライブやグッズやバンドの話を沢山した。コロナ禍で彼女は人よりも気をつけなくてはいけないこともあったし、そもそもライブがなくなってしまって悔しそうにしていた。ワクチンできたら絶対にすぐ打つって話してた。


一緒に行って別々に見た昨年の12/28ナゴヤドームでの感想は、最初ギターがかっこいいって思ったけど、途中でドラム!!!って思ったと言うから、そこ兄弟だよと言うと興奮していた。今年の11/3の東京ドームもWOWOWで見たと連絡をくれ、アニーかっこいいって言ってた。私もそれに対して自分が見たりTwitterで知ったアニー情報をメールして、楽しかった。



4月の東京ドームは、本当はライブ後に彼女が近くで待っててそのまま飲むか、なんならホテル泊まって飲み明かすか、と話していたけどコロナでなくなった。

11/3のドームは、ライブ好きの人間にとってはきっと嬉しいニュース、でも基礎疾患のある人にとっては大規模ライブに行った家族がいる人(私の夫)が翌日会社で目の前に座るのは嫌だろうなと思って、ライブに行くこと、行くとしてそれを彼女に伝えるか迷ったけど、行くとメールした。後日会った時にあの時、実はライブ行ったんだと言うより、これから行きますって言いたいという私の自己中な考えで、珍しくメールの返信が1日なくて、彼女を不安にさせるだけのメールだった、私は嫌な奴だってすごく後悔した。でも彼女は返信をくれ、11/3のライブ前に会うことができた。これまで3ヶ月に1回は飲んでたけど、コロナのせいで会うのは昨年の12/28・29以来だった。
コロナで大変そうだからバンドにお金遣わなくちゃと思うけどこれ以上Tシャツいらないから、お姉さんの誕生日プレゼントにあげてお姉さんは全然知らないバンドの変なTシャツ着てるって笑ってた。

なんかもういい気がしてきたから、今度飲みましょうよと言われて、目の前にライブ行く人がいるのに自分だけ気をつけて生活してるのがバカバカしいと思わせてしまったのかな…とどう答えて良いか分からず曖昧にしてしまった気がする。

メールした自分の勝手さに後悔したけど、それでも11/3が彼女と会った最後だった。

写真はお互いそんなに好きな方でも無かったから、私の結婚式以外だとほんの数枚しかない。社員旅行のもない。九州まで行って牡蠣を焼いてバチンバチン殻がはねて怖いよー言いながら食べたり、ハウステンボスを寒いね〜ってウロウロしたり、写真撮れば良かった。

人付き合いが苦手な私は、幼稚園からの友達、高校からの友達、計2名を友達と思って生きてきて、それでも彼女達と旅行しないで済むようにしてきた。オットと旅行はできる。友達とは無理なのだ。そして彼女ともできれば避けたかった。でも結果として2回も彼女と飛行機に乗った。社員旅行もカウントしての、2回。2回目は回避もできたけど、行ったら楽しいことは分かっていたからちょっと覚悟を決めて行った。楽しかった。

25日に家を掃除していて有田焼のチャームがついたヘアゴムが出てきた。なんとなくテーブルに置きっぱなしにしていて、昨日の朝、そう言えばこれは私が一緒に九州に行った時、彼女へお揃いで買ったやつだったな、このタイミングで出てきてたんだって思った。

12/28の武道館に行くとはメールしていなかった。すれば良かった。夜送った私のメールを朝彼女が読んだら、朝の散歩時間が少し変わったかもしれない。お揃いのヘアゴムが目の前にあって、ライブが目前なのに何故私は彼女にメールしなかったんだろう。変に反省しないで自己中のままメールしたら良かったのに。

12/28の武道館はそれでも、大事なTHE YELLOW MONKEYの2期最後のライブだし行かない選択肢はなかった。彼女も「は?行かないなんてありえない」って口をへの字にして眉間にシワを寄せるあの表情するだろうって思った 。たまにやるあの可愛い舌打ちもしたかもしれない。舌打ちが全然似合わない子だった。行ったら楽しめるかなぁと思ったけど、涙と光でずっと蜃気楼みたいだった。友達がいなくなってしまった寂しさと、THE YELLOW MONKEYもしばらくお休みする寂しさで、どうしようもなく寂しかった。寂しいしかなかった。

今の私の気持ちを歌ってるTHE YELLOW MONKEYの歌は無いかなって考えたけどさびしくてそれどころじゃない。友達が死んじゃうことがこんなにキツイなんて知らなかった。